自分と一緒にいてくれる人に気づいた話
「お前がいい」と言ってくれる人と一緒にいよう。
そう思った夜。
なんというか、自然体でいるほうがストレスがない。
要求よりも承認がいい。
そんな普通のことを今更考え付いた。
「一緒にいたいのなら、このように在ってください」という要求は、悪癖でないのなら無理な注文なのである。
幸いなことに、私には「お前がいい」と言ってくれる人がいる。
自己否定と反省と対策にまみれたこれまでの人生がふと、やっと報われた気がした。
ああ、別に自分を無理に変えたり我慢しなくても、一緒にいてくれる人ができたのだな、と。
もちろん、人から良い評価をもらったからと言って、それにあぐらをかけば失っていくのだが。
その好意的な気持ちに応えよう。そう思えるほど心を暖めてくれる人に、恩義を返したいと純粋な気持ちで想う。
自分を磨くにしても、否定しながら磨くよりも、肯定しながら磨くほうがずっといい。
他者の気持ちを考える話
毎日毎日、何かに気づくわけではない。
そんなに書きたいことが浮かぶわけではないよ!という言い訳をしつつ、今回の話に入る。
人間関係で色々ゴタゴタしたことが、最近ひとまず解決した。
ずっと相談に乗ってくれていた人に報告し、どんな感じでまとまったのかを話したときに、その人は相手方に対してこんなことを口走った。
「もう少し他者の気持ちを考えないといけない!」
本能的に出てきた言葉だったのだろう、正直私がびっくりした。その人は、私の肩を持っているところは確かにあるのだが。
実際、相手方は私の気持ちなど微塵も考えていなかったし、丸く収まるまで私がどんな気持ちで過ごしていたかを考えもしなかった。
というか、考えなさすぎて、ある意味無敵だったのである。
なんの悪気もなく正義感もあり、一見イイヤツだから始末に悪い。
相手の立場。
相手の気持ち。
相手の心地よさ。
なんでもかんでも相手を優先すると、自分が後回しになるように感じるかもしれない。
だが、他者とちゃんと付き合いを持つのなら、相手のことも考える必要がある。
大事なのは落とし所だ。
どっちかが過剰に譲歩する関係は、時と共に崩壊する。
独りで完結している相手を見ていない交友は、正直しんどすぎてもう無理だなぁ。
そんなことを思いながら、「もう少し他者の気持ちを考えないといけない!」という、相談相手の魂から出た言葉を胸に刻むのである。
気圧で気分が突然落ち込んだ話
突然のネガティブと古傷からの悲しみに襲われる。
一体何事かはわからないが、急に疲労を感じ情緒不安定になりすぎて、自分でもこれはおかしいと思った。
なんだろう…スピリチュアル的な、気づき…?
いやいや。
なんてことはない、多分気圧のせい。
私は気圧の変化で頭痛がするタイプではないため、晴れか雨か程度しか天気のことをあまり気にしない。
友人に「気圧じゃない?」と言われるまで気づかなかった。
調べてみると、なるほど私の住んでいるところは日曜から頭痛がしやすい気圧らしい。今日でおさまってくるようだ。
スピリチュアル的なトクベツ感ある謎の体験でなかったのは多少残念ではあるが、天使や妖怪のせいでもなく普通に天気のせいだった。
特に心当たりもなく気分が落ち込む時は、多分気圧やホルモンバランスのせい。
カード占いの話
三日坊主を克服すべく、筆を取る。
今回で4記事目で、実質3日目。
私はタロットカードやスピリチュアル的なオラクルカードが好きだ。
ただ、あまりにもスピリチュアルしていてキラキラしているものはなんだか苦手である。
最近気に入って使っているのは、四季みくじというカードだ。
お家で楽しむデイリーおみくじ 「福を呼ぶ 四季みくじ」 https://www.amazon.co.jp/dp/4990190998/ref=cm_sw_r_cp_api_i_lMH4CbFARECW2
ユングが提唱したシンクロニシティという概念がある。「意味のある偶然の一致」のことだ。
こういったカード系の占いなどは、このシンクロニシティを利用していると言われている。
実際、タイミングによって出てくるカードがガラリと変わる。
この間まで全く出なかったじゃないかー!いたのか君!みたいなカードが、なにかの拍子にスルリと出てきて今後を示すこともある。
そして、そのタイミングとは「気持ちの持ち方が明確に切り替わった時」だったりする。
少し前まで、大丈夫だ前を向け、運気は上がっているぞ!というカードばかり出ていた。気分はわりとどん底気味だったというのに。
今日の朝に引いたら、変化はゆっくりと訪れる、泣きたい時は泣けばいい、心のままに過ごそう、というカードが出た。前を向けた瞬間、これである。運気アップはどこへ行ったのだ。
カードですらシンクロするのである。
自分が変われば○○が変わるというのは、モノの見方が変わると同時になにかのシンクロが起こっているからかもしれない。
とはいえ、シンクロ関係なく良い状態にしておくに越したことはない。
恐山に行ってきた話
恐山に行ってきた。
私は恐山を観光するのが好きなのだ。
今日は硫黄がところどころで吹き出ていた。去年よりも火山の活動があるのかもしれない。
白い岩がゴロゴロとした地帯を抜けて、極楽浜のベンチにすわって、ぼうっとカルデラ湖を眺める。
近くには東日本大震災の慰霊碑。
突き抜けるような青空と、そっと湖のほとりに備えられたひと束の花を見ながら、なにも考えない時間を楽しんでいた。
少しすると、参拝に来たおばあちゃんが慰霊碑に話しかけながら歩いてきた。
お父さん、今年も来たよ。
今年もこれた。
お父さん、今日はなんだか優しい顔をしてるね。
そんな風に話しかけていた。
参拝が終わると、のんびりと座っている私にいい天気だねと気さくに話しかけてくれた。
毎年、この日に来ているらしい。
震災慰霊碑を参りに来ているのだから、震災で…と察し、特に何も聞かなかった。
今日は震災があった日ではないが、おばあちゃんにとって特別な日なのかもしれない。
恐山は、この世とあの世の境界線みたいな場所。少なくとも、私はそう感じている。
そして、パワーレススポット。
排水口みたいに、エネルギーを全部流してしまうところ。
恐山からは、ものを拾って持って帰ってはいけない。
辛さや悲しみ、苦しみをここで流して、肩の荷を降ろすことができる。
敷地内を歩いていると、不思議と雑念がわかないというか、ネガティブなこともポジティブなことも考えなくなる。
日常からふいっと離れることができるから、私はこの場所が好きだ。
帰る前に境内の温泉に浸かりに行く。
温泉に向かうと、途中で先ほどのおばあちゃんとすれ違った。こっちのお湯がちょうどよくて入りやすいよ、と教えてくれた。
気をつけて帰ってね、おばあちゃん。
温泉は、とろけるような気持ちよさだった。
今回の恐山の目的は、自分の荷物を降ろしにいくことと、開山したから仏様達にご挨拶をしに行くこと。
きちんと終えられたので、また粛々と日常を過ごしてゆくのである。
良いところを伸ばせばいいんじゃないみたいな話
人生色々ある。
自分の性格が災いすることもある。
私は大概、気難しい。地雷を踏まれるとすぐ爆発するのだ。
もしあの時こうしていなかったら?
自分が違った行動をしていたら別の良い結果が得られたのでは?
そんなことを思い、別の世界線を妄想してみると、絶っっっっっ対に別の行動はしない自分がいる。
自分なりの根拠があって、その行動をしているらしい。
自分のロジックでは成立していることでも、別の視点から見て「お前気難しすぎるよ、もっとゆるく優しくなりなよ。付き合いづらいよ」と思ったりもする。
八方美人が素で出来る人は正直羨ましいこともある。誰にでも分け隔てなく朗らかでいられる方が、好かれることもわかっている。
でもそうはできないのである。
そんなことを思い、自分の気難しさについて人間観察好きな知人に話題を振ってみた。
まとめると、かなり気難しいけども他に合うところ/良いところがある、という返答が返ってきた。
いいやつぅ!大好きだ!
つまりは、良いところを伸ばしていけば、気難しいところは目立たなくなるんじゃ?
そんなお花畑妄想をしたが、案外それは昔から目上の人に言われていた気がした。
気難しいレベルが10、良いところレベルが10だと両方よく見えるが、良いところレベルを1000にすれば気難しさなんか誤差に見える。
見えない?見えてほしい。見えるよね!
そんなわけで。
自分の良いところを見つけて伸ばせばいいな!という結論にたどり着いたのである。
自分のマイナスばかり見るのは程々にしておこう。
放置の末、仕切り直すことにした話
2記事ほど書いて、このブログは放置されていた。
過去記事を読み返したら、なんだか肩肘を張り過ぎていて窮屈な感覚を覚えた。
さあこんな必死すぎる記事は消してしまおう。さようなら。
そんなわけで、精神的に修行するぞーみたいな必死さにまみれたブログはやめることにした。あったのだ、だがそんなものはなかった。いいね?
そして、やっぱり何か日記的なものを書きたくはあった。
日記を書くのはなんのため?と自分に問えば、こんな感じの回答が自分から返ってきた。
「日々思ったことを人生のタシに」
人生とは、「人がこの世に生きていくこと」。
人生には日々過ごすことも含まれるから、頭痛が痛いみたいな表現かもしれない。でも、私がよければそれでいいんじゃないかな。
改めまして、楠ノ樹凛(くすのきりん)と申します。
よろしくお願いします。
TRPGとネットゲームにまみれた生活をしている。
占いをたしなんでいるスピリチュアル脳筋。スピリチュアルは自分をメンテナンスするために使うものと思っている。
三日坊主どころか三日続かない奴なので、とりあえず三日続けることを目標として、この記事を閉じる。